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ピアニスト クリスチャン・ツィメルマン

昨日、福島市でクリスティアン・ツィメルマンのピアノリサイタルを聴いてきました!

バッハのパルティータ→ブラームスの間奏曲→ショパンのソナタのプログラム。

どれも素晴らしかったですが、最後のショパンのソナタ第3番第4楽章はもう圧巻で、(アンコールはないので)その余韻に浸りながら幸せな気持ちで帰途につきました。

 

巨匠 クリスティアン・ツィメルマン氏、ご存知でしょうか。

今年はショパンコンクールで音楽界は大変盛り上がっていますが、彼は史上最年少の18歳で(主要な賞も総なめにし)優勝しています。

今日はツィメルマン氏について少し書いてみようと思います。

 

 1965年、ポーランド生まれ。

工場で働いていた両親は音楽好きで、仕事が終わると仲間たちと一緒に家でさまざまな楽器を演奏して楽しんでいました。

5歳の誕生日にピアニカのような楽器を与えられ、そのアンサンブルに加わり、楽譜を読むことを学び、アンサンブルの能力も磨いていきました。

7歳からはショパン国際ピアノコンクールの審査員長でもあるヤシンスキ氏(あの「ピアノの森」にも実名で登場)師事し、本格的にピアノを学びます。

16歳ではベートーヴェン国際音楽コンクール優勝、18歳でショパンコンクール優勝。

でも、順調にそこまで来たわけではなかったのです!

13歳の頃、初めての舞台のジュニアコンクールでなんと最下位だったようなのです。

そのコンクールの前の2日間はまったく練習できず、また、当日、偉大なピアニストたちが(ヤシンスキ氏も)審査員席に並んでいるのを見てすごく緊張し、J.S.バッハの「パルティータ ロ短調」の最初のトリルで失敗してしまいます。

頭が真っ白になり、その後40回くらい出てくるトリルをすべて失敗。

審査員たちが「この子は、これ以上ピアノを続けていてもどうなのか」「やめた方がいいのではないか」等、ヤシンスキ先生にいっているのが聞こえ、家に逃げ帰りたい気持ちになったとか。。。

人生で最悪の瞬間だったけれど、ビリになった時代があるからこそ今がある」とツィメルマン氏は語っています。

人は苦難にあった時、それをどう捉えて乗り越えるかが大切で、それによってその後が大きく変わりますね。

 

学生時代は自分でピアノの調律、部品の製作や修理も行っていたそうで、自分で製作したピアノもあるというのは驚きです!

ピアノへのこだわりが強く、コンサートを行う際には必ず自分のピアノを運び、(調律師さんもいらっしゃるようですが)ホール、曲目に合わせて調整します。

それだけに、カーネギーホールで演奏会予定の時に、ニューヨークの空港でご自身のピアノが(同時多発テロの影響か?)危険物と勘違いされ、没収、処分となった事件、想像に絶する悲しみです。

 

ツィメルマン氏は日本好きでも知られています。一年の3分の1は日本で過ごしたいそうで、嬉しいですね。

きっとこれからも日本でたくさん演奏してくださるのではないでしょうか。

ご興味持たれた方は演奏を聴いてみてくださいね。